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2013年05月04日

 沖永良部島の海水浴場ワンジョ 歴史のある場所



ワンジョ  (湾門)

湧水があるため昔から港として利用されていました。

遠浅で安全な海水浴場です。  


Posted by YOSHI  at 06:19Comments(0)沖永良部島の集落

2013年03月27日

2013年01月12日

小米   沖永良部島



【小米】(フグミ) 〔世帯〕167〔人口〕409

小米は知名町の中心にあり、知名・瀬利覚のはさまれている。
商店街がありにぎやかな町である。古くから砂糖集荷港と
栄えた。和泊、伊延、沖泊の港は他島と交遊しており
島の発展に寄与している。

砂糖の集荷場日吉商店があった。前町長日吉得蔵氏の
父の店で、農家で作られた砂糖ダルは荷馬車で日吉商店
に運ばれ、ハシケで本船に積み込まれて本土へと運ばれていた。
昭和41年の大火災、52年の沖永良部台風と大被害を受けたが
以来、小米は集合字であるが親睦には字あげて取り組んでいる。

沖州会コラムより   
タグ :小米 


Posted by YOSHI  at 12:33Comments(0)沖永良部島の集落

2012年11月13日

2012年09月24日

2012年08月14日

畦布集落について



畦布】(アジフ) 〔世帯〕109〔人口〕293

島の北東部の海岸沿いにあり、その名の由来は
琉球時代の支配者按司府が置かれいたので、
その名が付けられたという説と、アジフは味生、
味原のことで、草木の群がり生得るという意味
の「アジフ」から発生した地名とも言われている。

海岸には湾川(ワンジョ)水源地、ワンジョ海岸
の海水浴場、ソテツジャングルなどがある。
森家庭園には樹齢500年ともいわれるソテツ老樹がある。
また速水・森家には祝女の素晴らしい遺品がある。
ワンジョドマイと伊延の間にある運崎岬の運浜の
南岸の断崖の下に自然岩石を掘って造られた
トウール墓がある。畦布周辺には十数墓があり、
和泊町文化財に指定されている。

畦布集落は祖先が残してきた「字伝承舞踊」の
伝承保存につとめている。また畦布の「獅子舞」
「センスリ節」は和泊町文化財になっている、
「獅子舞」は勇壮かつ獅子が激しく踊る姿は見る人を
圧倒する。

いろいろ引用させてもらう永吉毅先生(明治42年生)
は畦布の方で、「沖永良部島地名考」はじめ
「沖永良部郷土読本」「島嶼町村制時代の和泊村内法」
「和泊町史(編集委員)」などを書かれている。

沖州会コラムより

  


Posted by YOSHI  at 12:47Comments(0)沖永良部島の集落

2012年08月14日

新城集落について 



【新城】(しんじょう) 〔世帯〕64〔人口〕164

知名町の北部。東は和泊町谷山、永嶺、西は下城、南は
上城、北は東シナ海に面す。ニャーマガとシンバルが
昭和37年に字名変更をする。昭和41年に町指定文化財に
天然記念物として沖泊アダンの自然林、52年に史跡の
花窪ニャート墓が指定されている。沖泊には港がある。

世之主の生母を祭神に昭和3年に沖野島西所有の花岐原に
創建される。また新城は古くから葉タバコの産地でもあり、
葉タバコ共同乾燥場がある。終戦直後はタバコが栽培され、
名瀬では「エラブタバコ}の名で愛煙家に人気があった。

島では東西南北を呼ぶのに北を「ニシ」という。この
呼び方は12世紀から13世紀かけて作られたといわれている。
12世紀は日本では源平合戦時代、平家一族が壇ノ浦で
源氏に滅ぼされ平家は南へと、奄美大島各島にも平家の
落人が流れてきたといわれている。島で北のことを「キタ」
というと「源氏が来た」といわれ(先間政明先生の話)
島人は嫌ったと。「ニシミ」は北からの外敵を監視する
所という意味である。

京都で学校を経営する本部廣哲先生は新城出身で知名町
名誉町民となられている。


神戸沖州会HPより  


Posted by YOSHI  at 04:35Comments(0)沖永良部島の集落