2012年12月31日
2012年12月31日
2012年12月31日
2012年12月30日
知名・和泊図書館に著書を寄贈 石田秀輝教授
石田秀輝 著書一覧 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%90%CE%93c%81@%8FG%8BP/list.html
昨日画家&コックMIOさんの浜巡り途中に紹介のため立ち寄りました。今後活動拠点を 沖永良部島に移すそうです。
国内ネイチャーテックの提唱者であり、第1人者です。
知名・和泊図書館に著書を寄贈するとのことで両図書に連絡し調整しました。知名図書館には数冊おいてあります。歴民館にも数冊おいてあります。和泊図書館は年明けに数冊購入予定でした。
タグ : 沖永良部島に著書を寄贈
2012年12月30日
田皆集落 沖永良部島
【田皆】(タンニャ) 〔世帯〕340〔人口〕492
知名町の中では、知名、瀬利覚につづいて世帯数の多い
集落。町からみれば北西に位置する。北は東シナ海、
西は太平洋に面し、国頭と同じです。田皆岬があり
その雄大さは島内一です。岬は多くの人が訪れ、
国定公園でもあり、ヤグニャ岬といわれ、奄美10景の
ひとつでもある。
平成5年には岬で採掘されたトラバーチンは、皇居吹
御所に、また国会議事堂建設にも使用されている。
一集落に小・中学校を持ち、畑作中心ではあるが、
農業の傍ら紬織業も盛んである。
田皆には西郷神社があった。西郷隆盛が島に来た時、
瀬利覚の東西富という人が、西郷さんの料理人として
雇われていた。そのあとを和泊に住んでいた田皆の
田中窪一という人が選ばれ、西郷さんは「イチイチ」と
呼びかわいがられる。西郷さんが鹿児島に帰り、窪一は
鹿児島の西郷さんを訪れ再会する。
帰島する時、西郷さんに多くの土産をいただくが
人のいい窪一は、品物を盗れてしまう。持ち帰ったのは
ヤカン等。村の人は西郷さんを慕い{西郷神社」を建立
する。しかし太平洋戦争や台風に遭い現在神社はない。
(註)※田中家にはヤカンは保存されている。
窪一さんの話は、先間政明先生が、
孫の田中窪直氏から聞いた話です。
※東西富氏(天保12年~明治42年)の
子孫には現在神戸沖洲会報道副部長の
高田啓三さんがいます。
沖州会コラムより
タグ :田皆 沖永良部島
2012年12月29日
2012年12月28日
2012年12月28日
2012年12月27日
2012年12月27日
2012年12月26日
沖永良部島の歴史
沖永良部島の歴史(先田光演 著)より
BC8000~ 縄文時代
BC300~AC700 擬弥生時代
AC700~1100 マキョ時代
AC1100~1450 グスク時代(アジ時代)
AC1450~1600 世の主時代 琉球王国時代
AC1600~ 薩摩藩時代
AC1886~ 鹿児島県政時代
AG1945~1953 米軍政時代
1954~ 現在
タグ : 沖永良部島の歴史
2012年12月26日
2012年12月25日
2012年12月25日
2012年12月24日
2012年12月24日
奄美群島返還
1953(昭和28)年■奄美群島返還の日米協定調印■1946年2月から米軍政府の占領下に置かれていた奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)の復帰が決まった。1市19町村、人口22万5650人の同群島は25日午前0時に復帰し、8年ぶりに日本の主権下に。
毎日新聞より
タグ :奄美群島返還
2012年12月23日
屋者集落 沖永良部島 世の主伝説関連
屋者】(ヤージャ) 〔世帯〕45〔人口〕116
知名町南東部に位置し、東は余多、西は芦清良、北は
下平川に接し、南は太平洋に面する。平成6年からの
畠地基盤整備推進で畠は拡大されている。水に恵まれた
屋者は古来より農耕が盛んである。岩穴から湧き出す
水が豊富でおいしい水所として知られている。フリチゴー
ウコホー、ショーホーなどがある。
屋者には世之主時代の四天王「屋者マサバル」伝説が
残されている。先田政明著「知名町地名考」よりその
伝説を紹介いします。原文長文のため簡略します。
1400年代(室町初期)沖永良部島は世之主が治めて
いました。その家臣の四天王のひとりに「屋者マサバル」
がいました。琉球はその頃北山・中山・南山の三つがあり
沖永良部は北山に属していた。中山王は北山・南山を
滅ぼし「えらぶ」へ攻めてきます・古里の与和の浜の沖合い
まで着たとき、世之主が攻めか和睦かで、四天王を中山
の船にいかせます。和睦は白の吹流し、戦いだと赤の吹流し
が合図としていたが、四天王は敵に世之主の家臣と
いうことで歓待を受け四人は酩酊状態になる。島へ戻り
合図のことを西目国内平三が思い出し、泥酔状態で間違って
「赤」を上げる。これをみて世之主はもうだめだと思い自害する。
四人は責任は自分らにある切腹だト・・・しかしマサバルは「わしは
死なん、我々が死んだら世之主の墓は誰が作る、立派な墓を
作ることが霊を慰める」といい、四人は切腹せず、マサバルが
琉球に渡り石工を連れてきて内城に世之主の墓を作らせたという。
これが「屋者のマサバル伝説」である。
沖州会コラムより
タグ :屋者 沖永良部島
2012年12月23日
2012年12月23日
2012年12月22日
2012年12月22日
リュウキュウウマノスズクサ
リュウキュウウマノスズクサ
http://oki-park.jp/tropical/hanadayori/2007/05/post-41.html
印象的な花の形です。
タグ :リュウキュウウマノスズクサ
2012年12月22日
2012年12月22日
2012年12月21日
ブラジルのウミガメ保護活動
2012年12月20日
アサヒガニ 前後に動くカニ とうぐらで食べれます。
2012年12月20日
2012年12月19日
2012年12月19日
2012年12月18日
ボウコツルマメ 希少種
ボウコツルマメ マメ科 環境省準絶滅危惧 鹿児島県危惧Ⅱ
http://makiron39.blog58.fc2.com/blog-entry-622.html
沖永良部島で見れます。
タグ :ボウコツルマメ