2012年12月30日
田皆集落 沖永良部島
【田皆】(タンニャ) 〔世帯〕340〔人口〕492
知名町の中では、知名、瀬利覚につづいて世帯数の多い
集落。町からみれば北西に位置する。北は東シナ海、
西は太平洋に面し、国頭と同じです。田皆岬があり
その雄大さは島内一です。岬は多くの人が訪れ、
国定公園でもあり、ヤグニャ岬といわれ、奄美10景の
ひとつでもある。
平成5年には岬で採掘されたトラバーチンは、皇居吹
御所に、また国会議事堂建設にも使用されている。
一集落に小・中学校を持ち、畑作中心ではあるが、
農業の傍ら紬織業も盛んである。
田皆には西郷神社があった。西郷隆盛が島に来た時、
瀬利覚の東西富という人が、西郷さんの料理人として
雇われていた。そのあとを和泊に住んでいた田皆の
田中窪一という人が選ばれ、西郷さんは「イチイチ」と
呼びかわいがられる。西郷さんが鹿児島に帰り、窪一は
鹿児島の西郷さんを訪れ再会する。
帰島する時、西郷さんに多くの土産をいただくが
人のいい窪一は、品物を盗れてしまう。持ち帰ったのは
ヤカン等。村の人は西郷さんを慕い{西郷神社」を建立
する。しかし太平洋戦争や台風に遭い現在神社はない。
(註)※田中家にはヤカンは保存されている。
窪一さんの話は、先間政明先生が、
孫の田中窪直氏から聞いた話です。
※東西富氏(天保12年~明治42年)の
子孫には現在神戸沖洲会報道副部長の
高田啓三さんがいます。
沖州会コラムより
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