2012年08月14日
新城集落について

【新城】(しんじょう) 〔世帯〕64〔人口〕164
知名町の北部。東は和泊町谷山、永嶺、西は下城、南は
上城、北は東シナ海に面す。ニャーマガとシンバルが
昭和37年に字名変更をする。昭和41年に町指定文化財に
天然記念物として沖泊アダンの自然林、52年に史跡の
花窪ニャート墓が指定されている。沖泊には港がある。
世之主の生母を祭神に昭和3年に沖野島西所有の花岐原に
創建される。また新城は古くから葉タバコの産地でもあり、
葉タバコ共同乾燥場がある。終戦直後はタバコが栽培され、
名瀬では「エラブタバコ}の名で愛煙家に人気があった。
島では東西南北を呼ぶのに北を「ニシ」という。この
呼び方は12世紀から13世紀かけて作られたといわれている。
12世紀は日本では源平合戦時代、平家一族が壇ノ浦で
源氏に滅ぼされ平家は南へと、奄美大島各島にも平家の
落人が流れてきたといわれている。島で北のことを「キタ」
というと「源氏が来た」といわれ(先間政明先生の話)
島人は嫌ったと。「ニシミ」は北からの外敵を監視する
所という意味である。
京都で学校を経営する本部廣哲先生は新城出身で知名町
名誉町民となられている。
神戸沖州会HPより
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